贈陳商       陳商に贈る 李賀

長安有男児   長安に男児だんじ有り
二十心已朽   二十にじゅう 心 已すでに朽ちたり
楞伽推案前   楞伽りょうが 案前あんぜんに推うずたか
楚辞繋肘後   楚辞そじ 肘後ちゅうごに繋
人生有窮拙   人生じんせい 窮拙きゅうせつ有り
日暮聊飲酒   日暮にちぼいささか酒を飲む
祗今道已塞   祗だ今 道 已に塞ふさがり
何必須白首   何ぞ必ずしも白首はくしゅを須たん
長安に一人の男がいて
二十なのに 心はすでに朽ちている
机の前には 楞伽経が積み重なり
肘の後ろに 楚辞を引きずっている
人生には うまくいかないこともあり
日暮れには いささか酒を飲む
いまやわが道は 塞がっており
白髪になるのを 待つまでもない

 孤独な長安生活ですが、やがて心中を語り合える友もできてきます。
 詩には「二十 心 已に朽ちたり」とありますので、李賀が二十歳であった元和四年冬の作品でしょう。友人の陳商字は述聖は南朝最後の王朝陳の宣帝五世の子孫にあたり、父の陳彝ちんいは門下省左散騎常侍従三品になっていますので、名門の子弟と言っていいでしょう。
 陳商はまだ進士に及第しておらず、勉強中でした。
 李賀は自分よりは少し年長と思われる陳商を、五言十七韻を費やして褒めちぎっています。はじめの八句は、まず自己紹介で、仏典と楚辞を勉強していると言っています。「楞伽」は仏陀が楞伽山で大慧菩薩に説いた四巻の経典であったそうです。

淒淒陳述聖   淒淒せいせいたり 陳述聖ちんじゅつせい
披褐鉏爼豆   褐かつを披て 爼豆そとうに鉏
学為堯舜文   堯舜ぎょうしゅんの文を為つくることを学び
時人責垂偶   時人じじん 垂偶すいぐうを責
柴門車轍凍   柴門さいもん 車轍しゃてつこお
日下楡影痩   日下りて 楡影ゆえい痩せたり
黄昏訪我来   黄昏こうこん 我を訪い来たる
苦節青陽皺   苦節くせつ 青陽せいように皺しわ
太華五千仭   太華たいか 五千仭ごせんじん
劈地抽森秀   地を劈つんざいて森秀しんしゅうを抽ぬきんず
凄いものだ 陳述聖よ
褐衣を纏って 礼楽を修めている
堯舜の世の 文章を学んでいるが
世間の人は 平凡な対偶の文は作るなという
柴門では 車の轍が凍り
日が落ちて 楡の木陰も衰えた
黄昏の時刻に 君は私を訪ねてくれ
苦節のために 青春の顔に皺がある
しかし 五千仭の太華山が
抜きん出て 秀麗な姿をみせているようだ

 中1 十句のはじめの四句は陳商のことです。四句目の「垂偶」が難解ですが、衰退した排偶文と解され、「偶」は対偶対句のことと思われます。
 世間では平凡な対句の文章は作るなと言っているというのでしょう。
 あとの六句は、陳商が日暮れに李賀の家を訪れたくだりで、陳商の顔は勉学のためにやつれていますが、李賀は太崋山が地に抜きん出て聳えているようだと褒めます。

旁苦無寸尋   旁かたわらに寸尋すんじん無きを苦しむ
一上戛牛斗   一ひとたび上れば牛斗ぎゅうとに戛かつたり
公卿縦不憐   公卿こうけいたとえ憐あわれまずとも
寧能鎖吾口   寧なんぞ能く吾が口を鎖とざさんや
李生師太華   李生りせいは太華たいかを師とし
大坐看白昼   大坐たいざして白昼はくちゅうを看
逢霜作樸樕   霜に逢えば 樸樕ぼくそくを作り
得気為春柳   気を得ては 春の柳と為
礼節乃相去   礼節れいせつすなわち相去り
顦顇如芻狗   顦顇しょうすい 芻狗すうくの如し
あたりには 平坦地もなくて近づき難く
一気に登れば 牛斗の星とぶつかるほどだ
お偉方が 好意を持たなくても
賞賛の口を ふさぐことはできない
私といえば 太崋山を師とし
胡坐をかいて 輝く太陽を眺めている
霜に逢えば 小さな木になって縮こまり
陽気に逢うと 春の柳のように伸びる
礼節などは 忘れてしまい
藁犬のように やつれている

 中2 十句のはじめの四句は、陳商を褒める言葉のつづきです。
 あとの六句は再び李賀自身のことになります。自分は太崋山を師と仰いでいるけれども、時勢に応じて身を処しているあわれな人間です。
 「芻狗」藁で作った犬のように痩せていると卑下します。

風雪直斎壇   風雪ふうせつ 斎壇さいだんに直ちょく
墨組貫銅綬   墨組ぼくそ 銅綬どうじゅを貫つらぬ
臣妾気態間   臣妾しんしょう 気態きたいの間かん
唯欲承箕帚   唯だ箕帚きそうを承けんと欲す
天眼何時開   天眼てんがん 何の時にか開く
古剣庸一吼   古剣こけんもって一吼いっこうせん
風雨の夜にも 斎戒の壇に宿直し
銅印墨綬を 佩びている
とはいっても 召使いのような卑屈さで
掃除の役目を 果たしているだけだ
天が開眼するのは いつなのか
この古い剣は いつになったら吼えるのか

 最後の六句は結びで、自分の仕事は、召使いのような卑屈な態度で掃除役を承っているだけだと職務への不満を述べます。「斎壇に直し」というのは、太常寺の職務として斎戒の壇のあるところに宿直し、「墨組 銅綬を貫く」は漢代の制を借りて表現したもので、奉礼郎のことです。
 結びの二句のうち「天眼」は天子の目でしょう。
 「古剣 庸て一吼せん」には故事があり、盗賊が戦国時代の仙人王子喬おうしきょうの墓を暴いたところ、中には何もありませんでした。
 空中に一振の剣が浮かんでおり、盗賊がそれを取ろうとすると、剣は龍のように鳴き、虎のように吼えて天に昇っていったといいます。李賀はここでも天子に認められ、有為の官に就くことを望んでいることがわかります。

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