訪載天山道士不遇 載天山の道士を訪ねて遇わず 李 白
犬吠水声中     犬は吠ゆ 水声すいせいの中うち
桃花帯露濃     桃花とうかは露を帯びて濃こまやかなり
樹深時見鹿     樹は深くして 時に鹿を見
渓午不聞鐘     渓たには午にして 鐘かねを聞かず
野竹分青靄     野竹やちくは青靄せいあいを分け
飛泉挂碧峰     飛泉ひせんは碧峰へきほうに挂かる
無人知所去     人の去く所を知る無し
愁倚両三松     愁うれえて倚る 両三松りょうさんしょう
谷川の流れる音にまじって 犬の吠え声
桃の花びらは 露に濡れて鮮やかである
木立は深く ときおり鹿の姿がみえ
谷間には 真昼の鐘の音も聞こえない
青い靄が 竹林のまわりにたなびき
緑の山に 滝が飛沫しぶきをあげている
尋ねる道士は 何処へ行ったか知る人もなく
途方に暮れている傍らに 生えている松二三本

 李白の父親の身分・職業については何もわかっていません。
 李白自身が自分の息子に祖父は「客」と呼ばれていたと伝えているだけだからです。
 「客」とは「よそから移り住んできた者」を意味します。
 そこから李白の家は異民族の出で、西域から蜀に移り住んできたという説が学術書でも論ぜられています。
 それらを読んでみましたが、私には無理があるように思われます。
 人が名を隠す理由はほかにもあるからです。
 当時は身分制の強い社会ですので、父親が「客」としか名乗れなかったことは、李白の生涯に大きな制約条件とになってのしかかってきます。李白には兄と弟がいましたが、李白だけが教育を受けます。
 唐代において教育を受けるということは、知識人になって官吏を目指すことを意味します。李白は幼いときから頭がよく、父親にこの子に教育をさずけて官吏にしようという気持ちと必要な資金があったからでしょう。知識人になるためには字を学び書を読む必要がありますが、当時の書物はすべて書写によるものでしたので、民間では主として寺院に所蔵されていました。
 だから学問をするためには寺院にこもって、その蔵書を読む必要があったのです。李白は十八歳のころには郷里の近くにあった載天山の大明寺に下宿して読書に励んでいます。
 詩は載天山に道士を訪ねていって会えなかったときのものですので、十六、七歳で本格的に学問をはじめたころの作品でしょう。
 こまやかな観察と少年のころの李白の淳朴な姿が写し出されていて、初期の習作のなかでは佳作に属する詩と思います。


峨眉山月歌      峨眉山月の歌     李 白
 峨眉山月半輪秋   峨眉山月がびさんげつ 半輪はんりんの秋
 影入平羌江水流   影は平羌へいきょうの江水こうすいに入って流る
 夜発清渓向三峡   夜 清渓せいけいを発して三峡に向かう
 思君不見下渝州   君を思えども見えず 渝州ゆしゅうに下る
峨眉山にかかる月は半月で 秋たけなわ
月は平羌江に映って 流れゆく
夜 清渓の津みなとを発って 三峡にむかう
君を想うが会えぬまま 渝州にくだる

 李白は一応の学問を終えると、山を降りて地元の知識人や道士と交わり、蜀地を遊歴して見聞を広めます。
 李白が二十歳になったとき、都で礼部尚書(正三品)をしていた蘇頲そていが左遷され、成都にあった益州大都督府の長史(次官)になって綿州のあたりを通りかかりました。李白は自作の詩を蘇頲に披露して文才を認めてもらおうと試みますが、蘇頲は李白の才能をほめたけれども幕下に加えることはしませんでした。
 二十三歳のころには、広漢(四川省梓橦県)の太守(刺史)が李白を貢挙の有道科に推薦しようとしましたが、李白は断っています。
 李白には貢挙を受けられない事情があって、もっぱら詩文の才能を認められて官に就くことを目指していたようです。
 開元十二年(七二四)の秋、二十四歳の李白が蜀を離れて江南に向かったのも、もっと広い世界に出て自分の才能を示し、官途につく機会を得ようというのが目的でした。
 成都の壁下を錦江が流れ、錦江が成都の西を流れる岷江みんこうに合流してすぐのところに清渓(地名)という渡津としんがあります。
 詩はその渡し場を船出したときの作品で、峨眉山がびさんに半月がかかっているのを見ながら、故郷との別れの感慨を詠うものです。
 「三峡」というのは有名な長江の大三峡ではなく、嘉州(四川省楽山市)にあった小三峡とみられます。「平羌江」というのも岷江の一部をいうもので別の川ではありません。
 最後の句の「君」については、恋人であるとか、月に呼びかけているとか、いろいろ議論のあるところですが、清渓に見送りに来る予定であった友人が何かの都合で来れなくなった。それで会えないまま船出したというのが自然な解釈であると思います。
 なお、船出の地ははっきりしませんが、成都の錦江にある渡津でしょう。船出してすこし落ち着いたころ清渓を通過し、詩を作る気分になったものと思われます。
 船出して最初の旅の目的地は、渝州(重慶市)です。

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