酬張少府     張少府に酬ゆ   王 維
晩年唯好静   晩年 唯だ静せいを好みて
万事不関心   万事 心に関せず
自顧無長策   自ら顧るに長策ちょうさく無く
空知返旧林   空しく旧林きゅうりんに返るを知りぬ
松風吹解帯   松風しょうふう吹けば 帯おびを解きて
山月照弾琴   山月さんげつ照らせば 琴を弾だんずる
君問窮通理   君が窮通きゅうつうの理を問わば
漁歌入浦深   漁歌ぎょかは浦の深きに入ると
年をとれば ただ静かであることがよく
世の中の すべてのことに関心がない
自ら顧ても すぐれた策とてなく
成す所なく もとの林にもどるだけと知る
松風が吹けば 襟元をくつろげ
明月が山に懸れば 琴をつまびく
世の栄達と困窮の理をお尋ねならば
ほら漁父の歌が 岸辺に深く聞こえているだろう

 このころ張少府にも返礼の詩を贈っています。
「少府」というのは県尉(県の治安担当)に対する敬称ですから、身分は王維よりも遥かに低く、年齢も若い詩人であったと思われます。
 若い詩人から「窮通の理」を問われて、王維はほとんど隠遁に近い心境を述べています。結びの「漁歌」は楚辞の「漁父(ぎょほ)」に出てくる詩句を踏まえるもので、王維はいまの世についてゆけないと言っているようです。


鄭果州相過    鄭果州相い過らる  王 維
麗日照残春   麗日れいじつは残春ざんしゅんを照らし
初晴草木新   初めて晴れて草木そうもく新たなり
牀頭磨鏡客   牀頭しょうとう 鏡を磨くの客
樹下潅園人   樹下じゅか 園に潅そそぐの人
五馬驚窮巷   五馬ごばは窮巷きゅうこうを驚かし
双童逐老身   双童そうどうは老身を逐
中厨辨麤飯   中厨ちゅうちゅう 麤飯そはんを辨べん
当恕阮家貧   当まさに阮家げんかの貧を恕すじょすべし
晴れたばかりの麗らかな陽が
残りの春を照らし 草木もよみがえる
枕もとには 鏡を磨く負局ふきょく先生
樹の下には 畑を耕す於陵子おりょうしがいる
刺史の馬車が 貧しい村を驚かせ
年寄りを追って 二人の童僕も走り出てくる
台所で粗末な料理をととのえたが
阮家の貧乏暮らしを どうかお赦しいただきたい

 詩中にある「五馬」というのは五頭立ての馬車のことで、州刺史身分の者に許されていました。だから州刺史のことを「五馬」というのです。
 鄭氏は果州(四川省南充県付近)の刺史でした。その鄭果州が草深い「窮巷」(貧しい村)を訪ねてきました。詩中の「磨鏡客」や「潅園人」にはそれぞれ典拠がありますが、王維自身のことでもあり、王維が親しんでいる布衣ふいの隣人のことでもあると思います。
 王維は馬車で乗り込んできた鄭果州に料理の粗末なことを詫びていますが、王維は当時、給事中の職にあったのですから貧乏暮らしではなかったはずです。「阮家の貧」と言っているのがその証拠で、阮家げんかは晋の阮籍・阮咸のことで、清貧の暮らしをしたことで有名でした。
 州刺史として豪勢な暮らしをしている鄭果州へ皮肉を言っているのかも知れません。

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