酔中作 酔中の作 張 説
酔後方知楽 酔後 方に楽しみを知り
弥勝未酔時 弥々 未だ酔わざる時に勝る
動容皆是舞 容を動かせば 皆な是れ舞にして
出語総成詩 語を出だせば 総て詩と成る
酔ってはじめて 楽しい酒の味を知り
酔えば酔うほど素面 のときと違ってくる
体が動けば それがそのまま舞となり
言葉を吐けば すべてそっくり詩句となる
政争によって地方の刺史や都督に左遷されたこともありましたが、そのたびに中央に復帰し、玄宗の開元の治にたずさわります。
官は中書令(正三品)に至り、左丞相をつとめました。燕国公の爵位を授けられ、開元十八年(七三〇)に六十四歳でなくなります。
照鏡見白髪 鏡に照らして白髪を見る 張九齢
宿昔青雲志 宿昔 青雲の志
蹉跎白髪年 蹉跎たり 白髪の年
誰知明鏡裏 誰か知らん 明鏡の裏うち
形影自相憐 形影 自ら相憐れまんとは
むかしは 青雲の志があったが
ああもはや 白髪の歳になった
思いもしなかったな おいお前
鏡にむかって苦笑い 語りかけるようになろうとは
張九齢は高宗の儀鳳三年(六七八)に生まれ、張説より十一歳の年少でした。二十三歳のころ進士に及第し、玄宗の開元の治で張説の腹心として活躍しました。官は中書侍郎(正四品上)同中書門下平章事に至りましたので、宰相になったわけですが、李林甫が宰相になると、荊州(湖北省江陵)に左遷されました。五年間、荊州で詩文を友とし、開元二十八年(七四〇)に六十三歳で荊州で没しました。
洛陽報才子 洛陽に才子を訪えば
江嶺作流人 江嶺に流人と作れり
聞説梅花早聞説 らく 梅花早しと
如何此地春 此の地の春と如何いかんぞ
洛陽の街に才子を訪ねると
江南の果てに流されていた
聞けばかの地は 梅の咲くのも早いという
都の春と比べたら さてどんなものだろうか
孟浩然は則天武后の永昌元年(六九八)に襄陽(湖北省襄樊市)で生まれました。貢挙をめざしたが及第せず、各地を放浪して詩人と交わり、郷里に近い鹿門山に隠棲して過ごしたりしました。李白より十二歳の年長で、李白の尊敬を受け、交流があったのは有名です。
玄宗の開元二十八年(七四〇)、五十二歳で無官のまま亡くなりました。「