此の楽しみも時過ぎて、永き春日もはやたけて、午の貝吹く頃(昼)とはなりぬ。
其れより吉光は辞退する小曾女が詠草を請いとりて、端より次第に読みくだし、只管奨誉し給う程に謙杖夫婦も喜ばしき事に思いて様々の追従言葉を尽すうちに
「娘小曾女は歌の道を好めるものから年も参らず。いと拙くは候えど、憐れ君の賢慮をもて、古今伝授を賜らば是に増したる事はべらず。成るべくは近き程に御許しあらば娘は元より、我々とても生前の喜びにて候」と聞いて吉光欽然とし
「そはいと易き願い也今直ぐに」
と膝立て給うを押し止め参いらせて
「今は御遊の妨げなり。何時にても御閑暇の折もて願い奉る」と言い果ぬに吉光
「互いに若き身乍らも只管懇望する事を、緩々延ばすべきならず。真緒のすすき故事あり。=注「徒然草」八十八段の噺。渡辺の聖は「ますほの薄」と「まそをの薄」の違いを知っている、と聞いた登蓮法師は、雨が降っている中を教えを乞いに出掛け様とする。雨が止んでからにしたらと言う人々に対し、登蓮法師は「人の命は雨の晴れ間を待たない物だと言う」と言って走り出したと言う=いざいざ用意致すべし。去り乍ら此の事は冷泉家の極意にして、彼家伝授の方式は七間を隔て一間毎に、内より錠を差し固め、其処にて伝授をする事なれど其れにてはいと手重し。二間ばかりを隔てなん。奥まりたる処あらば案内せよ」と立ち給えば謙杖小弱木は先に起ち、奥のかたえ案内し参らす。
吉光辺りえを見回し、此処の一間が宜からんとやがて其処此処を建て切りつ、待間もあらず静々と入り来る。
小曾女が面差しは三人の傍女音勢等には聊か劣るたる方なれど、其の姿の淑やかさは如何なる宮腹の媛と謂うとも是には過ぎじと見ゆる斗り、己ずから愛嬌ずきて寝よげにみゆると業平が、詠みかん昔も思い出され、=注「伊勢物語」四十九段中の歌「うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思う」心恍惚となり給えばやがてすっと寄りッッ
「古今伝授の三鳥三木=「古今集」の中の難解な歌を秘密に伝授するのが古今伝授だが、其の中に三鳥三木と云うにがある。三鳥とは、百千鳥・呼千鳥・稲負鳥。三木とは、おがたまの木・やまがきの木・かにわ桜とされて居る=其れより三丁続けの、よい事を教えてやろう、こっちを向きやれ」ト衿首に手を掛け引寄せ給えば、小曾女はいまだ恋知らぬ心ときめきたるに、吉光が艶姿。
いなにはあらぬ稲船の流れ寄る瀬の波枕、身も動かさで在る程に、=「古今集」二十東歌「最上川のぼればくだる稲船のいなにはあらずこの月ばかり」引用=吉光やがて口を吸い、はや玉門へ手を入れて、探り給うに年は年だけ潤いいで、二本の指の苦もなく這入れば玉中を上を下へといろい給うに小曾女は今更恥しさに、頤衿に差入れて、物をも云わず居る程に、吉光頻りに指先を奥へ突き入れまた口元へ、引出してさねの辺りを、くるくる捻れば何となう、快く覚えツッ、ずるずる精水をいだす程に、吉光今は折よしと、前を捲り内股を左右に広げ肩に懸けて一物を宛がいて小刻みに腰を遣えど流石は新開少し軋みて入りかねれば、降りて舌にてべちょべちょと淵の辺り一面にねぶり廻し給いて、また宛がいつちょこちょこと、突つけば忽ちずるずると、此度は苦もなく根まで這入る。
其の時小曾女の顔を見るに、唯目をねぶり歯を噛締め、上気なしてや鼻詰まらせ、スゥスゥスゥと云う程に、吉光はしっかと抱き、二三十遍突きたるに、其の開中の締りよさ、快き事喩えんかたなく、ついじゅうじゅう精を遣り給えど、小曾女は始終男の背中へ手は廻せども締めもせず、精を遣ったるやら遣らぬやら、夫れさえ判らぬ新契り、唯わくわくと胸躍る、是ぞ恍惚子の情なるべし。