2004/3/5 10848 3/6 10850 投稿者:ritonjp

      第五 「過去こしかたの巻」

 そもそも是は朝香と謂える、女の素性を尋ぬるに、此の北嵯峨に年古き、郷士何某の娘なりしが、未だ年ゆかぬ其の頃より、色気たっぷり前尻を、撫でつ摩りつとり形も、年にはませたいやらしさ。
 陰で識る人あれど、親は却ってまたおぼこと、心を許す其の目を盗み、程近き若者と、乳繰り合うて世間の評も、騒々しきに心づき、何時までも子供じゃと思うは世に言う親馬鹿なり。
 はや十五にも為るならば、男欲しさの春心、出るのも道理何事も、無いうちに躾の為、御所様方の行儀作法を、見習はするが身の薬と、夫れより近き人を恃み、奉公口を尋ぬれど、生憎此の節御所方には、然るべき口も無く、甘泉寺の大納言蟻盛卿のお傍勤め。
 年格好も丁度善しと、世話する人の有るに任せ、先ず先ず其れへ挙げたりしが、朝香は色の味をさえ覚えし身なれば、其の男と別かるる辛さに人知れず、血の涙をば流せども、年の往かぬ身は鼻白みて、男に其れといは躑躅、言わねばこそあれ、恋しさは堪えて出づる宮仕え。
 男も本意なく思えども、互いに親の有る程に、其の身一つも自由に為らず、今日と過ぎつつ明日の夜を、明かして見れば去る者は、日々に疎しの倣いにて、心の裡は忘れねど、始めの如く思もほえず。
 況して朝香は浮きたる性にて、蟻盛卿は御年も未だ漸うに二十三四。
 桜は公家と喩えたる、其の艶容に心地惑い、前の男の事等は、夢の端にも思い出さず。
 如何にもして此の殿と、添臥したらと明け暮れに、おつな目付きと口元に、愛嬌もまたいやしからねば、蟻盛卿も若盛り、未だ定まる北の方さえ在さずして閨寂しさに、ちょっと朝香が手を執りて、戯れ給えば追手に帆の弥武心をじっと堪え、否める様も憎からず、情けの詞様々に、心は解けし帯紐や、肌と肌とをぴったりと、慈し可愛の睦言に、はや明け近き鶏鐘を、恨み乍らの起き別れ、後は夜毎夜毎に、人目忍ぶの関越えて、深くも契り参らしツツ、露の情けの多々まりて、何時しか腹のふくらかに、為りしと聞いて蟻盛卿は心苦しく思せども、初子と成れば安々と、産ませて見たき心もしつ。
 雑掌なる何某に、其の事密かに語らいて、朝香の親え其のよし云い、側室の披露し給はんと思しにけれど先頃より、裏藤家の姫君を迎え参らす契約あり、近き程輿入れと彼方よりも言越し給いつ。
 されば北の方の在せぬ程に、さる事あらんは聞こえも悪し、身籠りたる儘朝香をば、親元へ返すに如かじと雑掌等が計らいを、了得亜相も否み難く、不便遣る方なけれども、数多の黄金を手当して、朝香に身の暇賜り、生れたる子は男にまれ、女にまれ、よき様に計らうべしとの事なれば、朝香は只管うちなげけど、力に及ぶべきならねば、泣く泣く親里へ帰り来て、憂き月日重ねるうちに、月数満ちて産み落とせしは、即ち今の音勢なり。
 されば朝香の父母も筋よき子にはあらねども、初孫と謂い清らかなる女の児は愛らしさも、また一入に思いつつ、二とせ三とせを送る程に、朝香も何時まで独住にて置きなんも快からず、他に跡執る男も無ければ善き婿に遇せんと、思う程に親しき人の媒酌するを僥倖に、迎えて朝香と夫婦にならしつ老いの安堵になさんとせしが、此の婿は性善らぬ者にて、朝香親子は謂うも更なり、父母にも当たり悪く、邪険放逸なるにより、斯ては末々治まり難し、我が目の黒き裡ならば、進退すべて自在なりと、父某が計らいにて、此の婿を離縁なしつ。
 朝香も元来さのみには、思わぬ婿の事なれば、結句僥倖に思いとり、夫れより後は寡婦にて、明け暮らす程に父母も追々に身罷りつ。
 今は母子の侘び住居、始めの巻に謂えるが如し。
 されば音勢が風俗の並に優れて見ゆるは其の素性に拠るものなるべし。

       第五「過去こしかたの巻」  終わり

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